神様を土台とする本物の絆

…このいのちが現われ、私たちはそれを見たので、そのあかしをし、…あなたがたにも伝えるのは、あなたがたも私たちと交わりを持つようになるためです。私たちの交わりとは、御父および御子イエス・キリストとの交わりです。…これらのことを書き送るのは、私たちの喜びが全きものとなるためです。神は光であって、神のうちには暗いところが少しもない。…神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。…ヨハネの手紙Ⅰ 1章1節~10節

今日は、合同記念会礼拝です。天国と地上をつなぐ礼拝を持てることを心から感謝します。
ここ数年、「絆」という言葉が流行っています。ミュージシャンたちも、「絆」というタイトルの歌を何曲も作っています。教会では、「交わり」という言葉を、「絆」という言葉以上の気持ちを込めて使います。何があっても切れない結び付きを保証する「交わり」を持つためには、どうしたらいいのでしょうか。皆さんの「絆」は、大丈夫ですか。天に召された方々と今も本当の結び付きがありますか。それとも生きていた間だけですか。
私も、愛する者を天に送っています。たとえば、牧師の仕事をしている時に、「ああ、親父だったら、こんな時どうするんだろう。お父さん、教えてくれませんか。」そんな思いで天を見上げて祈ることもあります。今も「交わり」が絶えません。本物の「交わり」を深めていきたいのです。
聖書は、私たちの人生も「絆」も、人間の生きることについてはすべて、神と結びついて考える時、本物になると教えています。今日開いた聖書の中で、二つのことを心に刻みつけてほしいのです。

1.本物の「交わり」を持つため、神と交わる

今、愛する方のお写真を前に、その方の優しさを思い出されているでしょう。それは、目には見えません。しかし、大切な人生の事実ではありませんか。
私たちの人生にとって大切なものはしばしば、目に見えないのです。目に見えるお金や物質的なものに一生懸命で忙しい時には、なかなかそれに気づきません。でも、大切な方を神のもとにお送りしてから、目に見えないものがわかり始めます。大切な人が注いでくれた愛情、忘れてはならない恩。目には見えないものが人生の宝物になります。そして、それらを本当に理解するために必要なことは何でしょうか。それは、目には見えないものの根源である神に向かい、心を開くことです。
愛する人を天に送ることは、実は、悲しいだけではありません。天国がうんと近くなり、命の源である神を知ることができるようになります。死が絶望に終わらず、いつかまたみんなと会うことができる永遠の命の希望に満たされるようになるのです。永遠の命を与えて下さる神と「交わり」を持つ時、みんなとの「交わり」は、絶対に断ち切れない「絆」になることを感謝したいのです。

2.本物の「交わり」の証明となる、光の中を歩む

聖書は、私たちの住む世界が、二つに一つ、光の世界か闇の世界だと教えています。
光とは、命であり、愛し、夢を語り、信じ、分かち合い、赦し、受け入れ、与えること。闇とは、嘘、偽り、ごまかし、わがまま、人を攻撃し、恨み、憎み、奪い、滅ぼし、殺すこと。世の中は、光と闇が混ざっています。聖書は、「神が与えられる光の世界を生きなさい。」と語ります。
注意すべきことは、人間は生まれつきの本性のままでは、闇の中を歩みやすいということです。みんながやっているからと言って、商売のやり方が身勝手であったりします。でも、光の根源である神と「交わり」を持てば、光へと歩むことができるようになると聖書は語っています。そうすれば、救い主イエスが罪深い私たちの身代わりに十字架で死んで下さった愛が注がれ、心の闇が清められる恵みが与えられ、今の家族の「交わり」も、愛し合う本当の「交わり」となります。
天に召された方との霊的なつながりが、今も厳然たる事実として生きているでしょうか。神とあなたの心がしっかり結び付いていれば、神のもとにある魂と語りかけるような「交わり」を持つことができ、何ら寂しさや恐れ、不安はありません。主イエスの血によって洗い清められた新しい永遠の命を与えられた縁、交わりがそこに存在します。
命の与え主の臨在に触れ、あなた自身も、神の光の世界にふさわしい者へと心を整えられようではありませんか。「あんなことをされたから、恨んで当然。」という自己主張から、身勝手な行動になりませんように。目に見える法律の世界での足し算引き算ではそうでしょう。しかし、神に結び付く霊の世界では、憎むより、赦して愛することです。その時に本物の「交わり」が神との間に存在し、召された方とも、今生きている家族や友人、信仰の友とも、本当の「交わり」を持つことができるようになるのです。このことを心から感謝したいのです。