“インマヌエルの主”の実現

このすべての出来事は、主が預言者を通して言われた事が成就するためであった。「見よ、処女がみごもっている。そして、男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。)       マタイの福音書1章22節~23節

クリスマスとは、本来、キリストの誕生を祝うお祭りを意味します。救い主イエスが共におられる、至上の喜びがあふれるクリスマスを体験しましょう。
マリヤとヨセフが正式な夫婦になる前に、聖霊によって処女マリヤがみごもります。ヨセフはマリヤを離縁しようとしますが、夢の中で、「マリヤを妻として迎え入れ、生まれてくる男の子にイエスと名づけなさい。」と天使のお告げがあります。この後マリヤは男の子を産み、ヨセフはイエスと名づけます。これらの不思議な出来事は、主が預言者を通して言われたことが成就するためであった、と聖書は語っています。「主が預言者を通して言われたこと」とは、何を意味するのでしょうか。

1.イエスを通し、私たちにまで救いが及ぶ

「主が預言者を通して言われたこと」とは、イエスの誕生だけを意味するのでしょうか。夢の中に現われた天使は、「生れてくる男の子こそ、ご自分の民をその罪から救って下さる方です。」とヨセフに告げました。その預言は、世界中の人々や、二千年経った今も日本にいる私たちを救い、幸せにして下さることまでひっくるめて意味していると受け取るべきです。
イエスは成人され、神が私たちを愛し救って下さることを語り、あらゆる病から人々を癒し、すべての悩みから人々を解放されました。それだけでなく、私たちの罪を背負い十字架の上で苦しまれ命を捧げて下さり、よみがえられ、私たちに与えることのできるよみがえりの命を明らかにして下さいました。これらすべてのことを意味するのです。

2.神が私たちと共におられることの実現

マタイの福音書28章でも、「わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」とイエスは語って下さっています。神は、いつでも、私たちがどこにいても、どんな状況に置かれていても共にいて下さる、眠ることもまどろむこともないお方です。インマヌエルという言葉が約束している恵みは、神がくっ付き虫のように私たちから離れないということではなく、もっと私たちの存在の根本的なことで、私たちの存在は神の臨在から離れることはなく、決して孤独とはなり得ないということです。
人が命の輝きを失う理由の最たるもののひとつが、孤独です。創世記で、神は、「人が、ひとりでいるのは良くない。」とはっきりと語られています。人は誰かと共にいて多くのことを学び、成長します。人は、ひとりで生きるようには造られていません。最近、心の病んだ人が多いのは、好き勝手に生きたいと思って狭い世界に閉じこもって暮らす人が増えているからです。しかし、孤独な生き方の中では、必ず心は病んでしまいます。そんな私たちの人間の根源に関わることがらを神は見抜かれているので、救い主イエスをこの世に送って下さる時、共にいて下さる約束を与えられました。
人生は、紆余曲折、様々な出来事が起こるでしょう。しかし、神はあなたの味方です。全知全能の神は、救い主キリストにおいて、世の終わりまで私たちと共にいて下さいます。この恵みを感謝しましょう。